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Channel: さつきのブログ「科学と認識」
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叙勲で思い出したこと

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 毎年この時期から年末にかけて忙しく、ブログがほったらかしになるので、日々訪問して下さる方に申し訳なく思う。書いておかなければと思うことは山ほどあるのだが、いかんせん時間が取れない。それでも今日は、「鬼蜘蛛おばさんの疑問箱」の松田まゆみさんによる「文化勲章受章という堕落」というエントリーを読んで思い出したことなど、忘れない内に書き付けておきたい。

 私には恩師と呼べる人が4人いる。高校の教師(Tさん)、大学の卒論の指導教官(Kさん)、大学院の指導教官(Hさん)、それと、私が院生になると同時に退官した教授で、自宅が近所だったこともあって、その後永らく私的なおつきあいをさせていただいた、今は亡き名誉教授(Gさん)。いずれも、私の人生の節目節目で軌道修正をして下さった、恩義のある方々である。

 私が助手になって数年後のある日、Hさんが、Gさんの叙勲話を持ちかけてきた。聞けば、一定の年齢に達した国立大学の名誉教授は、推薦をしたら勲章がもらえるのだという。しかし、Gさんは天皇制に反対していた人だったので、すんなりと推薦を受け入れないかも知れない。そこで、Gさんと親しくしている私を連れだって説得したいというのである。私は、どうせ断られるに決まっているからと思い、乗り気がしなかったのだが、きちんと断られてすっきりしたいという思いもあった。また、いやがる相手を説得しようというHさんの動機は何なのか、いろいろと詮索した末、Hさんの顔も立てて上げようと思い、一緒にGさん宅へ向かった。

 Gさんは不在であったが、町内の神社で秋祭りがあっているのを思い出して、その神社へ向かった。Gさんは当時町内会長をしていたので、きっとそこにいるだろうとの読みが当たり、すぐに、法被を着て酒をつぎ回っているところを見つけた。そこで、神社の裏へ誘って、私から叙勲の話を切り出した。Gさんはニコニコしながら、「勲章などもらわん、ワシはそういうことに反対して来たから」と、あっさりと断られた。Hさんは少し食い下がったが、Gさんの意志が固いことは明らかだったので、諦める他なかった。

 Hさんは、Gさんが「そういうことに反対して来た」人であるのを知っているのに、なぜ説得しようと思ったのか。ひとつには、今後、教室関係者で勲章をもらいたい人が現れたとして、傍から見れば業績的にも最も相応しいGさんをさしおいてはもらいにくくなるだろうとの思いがあったのではないか。将来の叙勲予定者にHさん自身も含まれていたかも知れない。今はHさんも名誉教授で、その年齢に達しているので、私が推薦しなければならない時期になったのだが、私も「そういうことに反対」だから、決して推薦などしない(すみません)。冒頭に引用した松田さんのブログエントリーの趣旨に意義なしである。

 松田さんの記事には大江健三郎氏のことに触れてあるが、大江氏は、文化勲章を辞退するにあたって、ノーベル賞は市民の与える賞だからもらったという意味の「弁明」をしていたと記憶する。私は、学生時代から初版本を全て揃えるほど熱心な大江ファンであった。なにしろ、学部時代に受けたHさんの集中講義を聴いて、その喋りが大江健三郎氏を彷彿とさせるものであったので、大学院からHさんの元へ大学を移ったという経緯がある。実際にHさんも熱心な大江ファンであると知ったのは、随分後のことである。

 しかし、『新しい人よ眼ざめよ』あたりから、ああ、この人はノーベル賞をもらいに来てるなと思って熱が醒めてしまった。取りあえず、その後の作品は半分ほど初版本を買ったが、その半分も読んでいない。若い頃読んだ作品では『洪水はわが魂に及び』が印象深い。『新しい人よ眼ざめよ』の後に出た、『河馬に噛まれる』はおもしろかったが、これが 川端康成賞を受賞していたことは随分後になって知った。これは、何かの皮肉か。

 ところでGさん、天皇制に反対の人が何故神社の行事をサポートするのか、当時の私には疑問だったのだが、その後のGさんとの付き合いの中で、明治以降、天皇制と結託してきた神社神道と、土着のアニミズム的な信仰をベースとする本来の神社の役割とは全く別物であることなどを教わった。私のブログ記事の中では、Gさんのことは、ここここなどに登場する。また、科学をなす上でのフッサール哲学の重要性もGさんから学んだ。
 

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