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男の子に読んでほしい『戦艦武蔵の最後』

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 来る10月24日は、1944年、戦艦武蔵がレイテ沖海戦で沈没して1000名余りの戦死者を出した慰霊の日にあたるが、私には戦艦武蔵に強い思い入れのようなものがある。

 過日、学生数名と山小屋のような旅館の一室で酒盛りをしていると「戦艦大和ってかっこいいよね」という話になった。聞けば、呉市にある「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」に行ったという。私自身が、子供の頃、まさに「大和かっこいい」と思って沢山のプラモデルを作っていたことを思い出した。大和だけでなく、武蔵も、零戦も、戦車もグラマンも沢山作った。零戦乗りの撃墜王・坂井三郎氏はヒーローだった。

 アジア・太平洋戦争時、私の父は若すぎて、二人の祖父は高齢のため、召集令状(いわゆる赤紙)が来ることはなかった。近い親戚中、誰一人戦場に赴いた者はいなかったので、誰一人戦死していない。ど田舎だったので、大がかりな空襲に遭うこともなかったという。そうした環境も影響してか、私は、戦争を美化する空気の中で立派な軍国少年に育ちつつあった。今でも軍歌の3つか4つを完唱できる。

 そんな私が、「かっこいい武蔵」の表紙に惹かれ、小遣いをはたいて買って読んだのが『戦艦武蔵の最後』という、ハードカバーの立派な単行本だった。著者も出版社も覚えていない。しかし、この本によって私は、それまで誰も教えてくれなかった戦場の悲惨な実態を知り、心に刻むことになった。しばらくは眠れない夜が続いたことを覚えている。その後は、戦争を美化するどのような言葉も空々しく聞こえるようになった。この本と巡り会うことがなかったら、今の私はどうなっていたか分からない。

 大岡昇平の戦記物を読んだのは高校の頃であるが、子供が手にするにはハードルが高いだろう。その点、『戦艦武蔵の最後』は子供が読みやすいように編集されていた。難しい漢字にはルビがふってあって、今にして思うと、子供に読んでほしいとの著者自身の強い願いが込められていたようでもあった。自分の小遣いをはたいて買ったのだから、子供の目にも魅力的な装丁となっていたのは確かだろう。

 そういう次第で、息子が戦闘機などの武器に異様に興味を示すので心配している、などといった親の嘆きを耳にした時など、『戦艦武蔵の最後』を薦めたいと思っていた。ところが、ネットで検索しても、私が読んだのと同じものが見つからない。

 検索にかかった現行の品は次の二点。

(1)渡辺清著『戦艦武蔵のさいご』 (フォア文庫 C 17:初版は1979年) [新書]


 さっそく両者を購入して確かめたが、内容も装丁も、私が読んだものと異なっている。それでも、どちらもお薦めできる内容で、(1)は小学校3、4年生頃から、(2)は、中学になったら読むことができると思う。

 私が読んだ『戦艦武蔵の最後』は、おぼろげな記憶では表紙の絵は(2)に近く内容は(1)と(2)を合わせたようなものだったように思う。(2)の本文最後にある脱稿の日付が1994年6月となっているので、こちらではありえない。そこで、(1)と同じ著者による絶版となった単行本の中古品を取り寄せた。

(3)渡辺清著『戦艦武蔵の最後』(朝日新聞社:1971) [ハードカバー]

 私が入手したのは初版本で、写真のものとは表紙が異なっている。どうやら、内容はほぼこちらのようであるが、表紙の絵が完全に違っている。武蔵の勇姿がないし、もう少しサイズが大きかったように思う。この表紙だったら、軍国少年の私は買わなかっただろうという印象。しかも、私が買ったのは1968年前後の頃と記憶している。しかし、「武蔵沈没二十七周年秋」に書かれた著者の後書きを読むと、この年(1971)になってようやくまとめることができたという意味のことが書かれているので、これ以前に同じ著者による類書は出版されていないようだ。実際、いくら検索しても、これより古い同名の書は出てこない。いやまったく、記憶というものはアテにならないものである。

amazonのカスタマーレビューに、(1)『戦艦武蔵のさいご』について批判の投稿がある。


本当に残念。武蔵に乗艦したという経歴を持っている著者の悪質なプロパガンダ小説である。
その経歴を自らのプロパガンダに利用して戦友に申し訳ないと思わないだろうか。
子供が読めば、著者のメッセージと共に内容が強く心に残るだろう事は当然。
艦上の生々しい兵士の死に行く様が「これでもか」「これでもか」と悲惨に表現されている。
だが、大人(子供でも分別ある読書家)が読めば、「お前は何でそんなところまで知ってるんだ!」「「戦闘中にボケッと一人一人死ぬ様を長時間眺めてたのか!」「沈没前の戦闘中に乗組員の大半が死んでしまったような不思議な書きっぷり」「艦を出たのに、その後の艦内の悲惨な兵士達の様がこれでもか、これでもかと書かれているが、何故状況がわかるのか?」等とツッコミどころ満載。
あの、物議をかもした少年H(妹尾河童)と全く同じ手法である。
また、作品中で共産主義者が乗組員で登場し、「敵はアメリカじゃなく、日本の軍部やブルジョア階級だ」と口にする事から、著者も戦後にそちらの運動に加わった人であろう事が予想され、調べたら反天皇の左翼活動家であった。
つまり、旧ソ連の日本に対する工作活動に沿って、自らの信条・活動のために経歴を利用して宣伝し嘘の小説を書いたのである。
悪質なプロパガンダ書ではあるが、まぁ著者の筆が上手く、読者をひきつける本ではあり、コロっと騙されている人が多い上手い技を感じさせる。
よって評価0のところを1とする。
騙されて私を非難する人は、戦闘中、しかも沈没前に艦を出た一兵士が知りえる内容なのかを注意してもう一度読んで欲しい。

 ここで述べられている「戦闘中、しかも沈没前に艦を出た一兵士が知りえる内容なのか」については、この書の元となった前掲(3)に掲載の渡辺清氏による「あとがき」に触れられているので、冒頭部分を引用しておく。

 この作品はさきに発表した『海の城』の続編ともいうべきものである。『海の城』ではおもに軍艦の内務生活をあつかっているが、ここではレイテ沖の海戦を舞台に海上戦闘がその中心となっている。
 私は当時一水兵として武蔵に乗組んでいたが、本書はそのときの私の体験をもとに、機銃の配置から武蔵の戦闘状況をできるだけ記録的に描いたものである。といっても軍艦内における兵員の戦闘配置はほぼ一箇所に固定されており、他の部署のことはなかなかわかりにくい。これは軍艦のもつメカニックな構造にもよるが、とりわけ戦闘中は他の部署の状況はほとんどわからないといってよい。そこでそういう点については、沈没後コレヒドール島に収容された(武蔵沈没の事実が部外に漏洩することをおそれて、私たち生存者は同島に約一ヶ月間罐詰になっていた)とき、いろいろ仲間から聞いた話や、またその後復員してから生存者に個人的に会ってたしかめたことなどによってその補いをつけた。・・・・

 「右翼」が目の敵にするほど良い本である。戦艦大和や零戦がかっこいいという男の子にぜひとも読んで欲しい。「戦艦大和はかっこいい」と話した学生にもこの本を薦めたが、大学生になったら、もう手遅れかもしれない。

参考サイト:
「戦艦武蔵の最期(抄)」(日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室)
 (3)『戦艦武蔵の最後』の本文の一部と、前掲「あとがき」の全文を読むことができる。
 著者渡辺清氏は日本戦没学生記念会(わだつみ会)元事務局長とのこと。


●「フィリピン・シブヤン海 “戦艦武蔵の最期”NHK 戦争証言アーカイブス)
(2)の著者塚田義明氏による証言

戦艦武蔵の最後(戦争証言project:YouTube)

 戦艦武蔵とは無関係だが、ついでにこちらも
「国体の護持」について(尖閣諸島の事例にも関係して)(中川村「村長への手紙」への曽我村長からの返信)


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