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炭坑のカナリアよろしく卒倒するとはどういうことか

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 カート・ヴォネガットが唱えた「芸術家の炭坑のカナリア理論」(注1)とは、以下のようなものとして理解されているだろう。

 つまり・・・
 感受性に優れた芸術家に社会的な役割・使命のようなものがあるとすれば、世の中に「悪い空気」が忍び寄って来た時、それをいち早く察知して、炭坑のカナリアよろしく卒倒してみせ、人々に危険を知らせることだ。

 私はこの「理論」を、学生時代、大江健三郎氏の著作によって知ったのだが、おぼろげな記憶によって、『核の大火と「人間」の声』(岩波、1982)に収録されていたのではなかったかと思い、読み返してみたら、あった。少し長くなるが「10 核状況のカナリア理論」(p285~309)から引用する。初出は『世界』1981年10月号とのこと。

 僕はかつてヴォネガットのインタヴューの一節を、文章に引用したことがありました。それは当時アメリカのキャンパスでもっとも人気高いといわれていたこの作家が、ソヴィエトの学生たちにも好んで読まれていることを知った1973年のことで、僕は旅行にたずさえて行ったかれの新作を、モスクワの学生に贈ったのでしたが、その長編小説は、この世界のすべての悲哀(サドニス)にたいする、無力な優しさの表現として、涙が流されるところで終わっていました。ヴォネガットはいまいったインタヴューで、その作品をつらぬく笑いと涙についてこう語っていたのでした。 ≪・・・笑いというものはフラストレーションへのひとつの感応なのだ。涙がおなじくそうであるように、そして笑いはなにものをも解決しない、やはり涙がなにも解決しないように。笑うこと、あるいは泣くことは、ほかになにひとつできない時に、人間がおこなうところのことなのだ。≫ そのように笑うこと、あるいはそのように泣くことしかできぬ人間として、作家というものをとらえているのらしいヴォネガットに、僕は鮮明な印象を受けていました。

 それから数年して出たヴォネガットの新しい本は、多様なジャンルの作品を集めたものでしたが、僕はそのなかでかれが作家の役割をもっと意識的に語っている文章を見出しました。横浜会議で、僕が直接しばしば思い出したのが、この講演記録でした。ヴォネガットの性格、その仕事のしぶりからいって、この講演は充分に準備された文章であって、つまりはひとつの作品として、かれが書いたものだと考えてよいはずですが、それは一九六九年に行われた「アメリカ物理学協会」への講演」として本に採録されています。("Wampeters Foma & Granfalloons" Delacorte Press)

 ヴォネガットはそこに集まった、おもに物理学の教師である聴衆の前で、いったい芸術の有効性とはなんだろうと、みずから問うのです。

 ≪これについて私がいだくことのできる、もっとも積極的な考えは、芸術の「炭鉱のカナリア」理論と私が呼ぶものです。この理論が示すのは、芸術家たちが社会にとって有効であるならば、その理由はかれらがきわめて感じやすい者たちだということです。かれらは徹底して感じやすい。かれらは有毒ガスが満ちてくる炭鉱のカナリアのように、より躰の強い者らが危険を認める前に、卒倒してしまいます。/今日の集まりに来る前に、私が卒倒していたとしたら、それは私にできたもっとも有効なことであったでしょう。他方、毎日何千人もの芸術家が卒倒してはいるのですが、それに誰ひとりわずかな注意もはらわぬのです。≫

 作家をふくむ芸術家の社会的な役割をこのように定義してから、ヴォネガットはそのような人間の考えとして、現代の科学者はもはや古き善き時代の科学者のように無垢(イノセント)でありえぬこと、たとえば戦争のための新しい武器の開発をもとめられた若い科学者は、新しい原罪とでもいうべきものを自分がおかすのではないかと疑わねばならぬといい、救済への希求と絶望のからみあった、いかにもかれらしい響きをこめて、次のように講演をしめくくっているのでした。God bless him for that.

 大江氏は、このヴォネガットの「充分に準備された」アイデアを日本に広めるべく、その後幾度となく引用した。たしか、1984年にヴォネガットが来日してNHKで対談したときにも、この話題が出されたと記憶する。

 ところで、これを読んだ当初からの疑問として、芸術家が炭坑のカナリアよろしく卒倒するとは、どういう状況のことを指すのかということがあった。ヴォネガットは、「毎日何千人もの芸術家が卒倒している」と語ったが、具体的なことは書いていないようだ。大江氏の『持続する志』(文藝春秋、1968)を読めば、大江氏自身はとても他人より先に卒倒したりするような作家ではなさそうに思えるのだが、では、大江氏は、卒倒している(した)作家として、典型的には誰のどのようなふるまいを想定していたのだろうか?

 思い当たるところは、同じ『核の大火と「人間」の声』の別の章で語られた原民喜くらいだ。ここに書いたように、原民喜は、朝鮮戦争が始まった翌1951年3月13日、遺稿『心願の国』に「破滅か、救済か、何とも知れない未来にむかつて……。」と書き残して、国鉄中央線の吉祥寺駅 - 西荻窪駅間で鉄道自殺する。たしかに原民喜の自殺は、世の中に「悪い空気」が忍び寄って来たことで卒倒した典型例かもしれない。しかしそれは、多くの人々に覚醒をせまるほどのものであったろうか、というのが、私の疑問として残った。自殺した作家は多いが、そのことで「悪い空気」が忍び寄って来たことを人々に察知させることができなかったとしたら、「炭坑のカナリア」失格である。

 そこで、いろいろ考えた末の私の結論は、三島由紀夫こそが炭坑のカナリアであったというもの。

 三島は「1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、面談中に突如益田兼利総監を、人質にして籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした直後に割腹自決した」(Wikipedia: 三島由紀夫)。

 これは逆説でも何でもなく、間違いなく、一人の芸術家が「卒倒」してみせた典型例に違いないと思う。おそらくこの事件は、「世の中に悪い空気が忍び寄って来た」ことを人々に覚醒させる力があったのではないか。たとえ原民喜が「正しく卒倒」し、三島由紀夫が「醜悪に卒倒」したという違いはあったとしても、我々凡人は、彼らが身を挺して発したシグナルを注意深くキャッチして、世の中に忍び寄りつつある「悪い空気」のほんとうの正体を見極め、どう対処したら良いかを考えるべきだと思う。そしてまた、感受性に優れて卒倒するのはなにも芸術家に限らないということも気にとめておくべきだろう。

 以上のようなことを考えたのは、例えば福島で東電原発事故がおこったことで、現に今も、「毎日何千人もの人々が卒倒している」のではないかと思ったからだ。冷静で分別のあることを自認するある種の人たちは、それらの人々を、精神に異常を来した者とでも考えているのか、例えば「放射脳」といった悪罵を投げつけて揶揄する。あるいは、「行動免疫システムの誤作動」などという、巧妙な科学の粉飾でもって同質の評価を下す人もまた後を絶たない。

 つまり冷静で分別のある彼らは、今にも卒倒しそうな人々のその感受性の内面でおこっていることについて理解できずにいるため、その「不思議な現象」を科学の力で解明しようとしているのだろう。冷静で分別のあることと感受性に優れていることは矛盾しない筈だと思っていたのだが、私の判断は間違っていたのだろうか。

 1969年にカートヴォネガットは、ほかならぬ物理学者達にむかって、この「芸術家の炭坑のカナリア理論」を周到な準備のうえで語った。彼が、もっとも語りかける必要のある人々だと判断したからだろう。God bless him for that.

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注1)当初、この「炭坑」を、大江氏に倣って「炭鉱」と表記したが、「炭鉱」は、石炭の濃集した鉱体や、鉱山のことなので、「炭坑」と改めた。なお、私のMacにインストールされている辞書には、「炭鉱」について、「石炭を採掘する鉱山。慣用として『炭坑』と書くこともある」との説明があるが、少なくとも専門家は、石炭を採掘するために掘った穴としての「炭坑」と区別している筈。(7/9)


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