梅雨があけて久しぶりの快晴だったので、街灯りの少ない近くの山の裏まで車でひとっ走り。林道わきの土手に寝転がって夏の銀河を堪能する。
七夕の織女と牽牛の居ること座とわし座、その傍のいるか座、や座、こぎつね座。星座では白鳥座とさそり座がいちばんそれらしく立派にみえるが、夜10時近くになって、さそりの方はもうずいぶん傾いている。さそり座の見頃は梅雨の時期と重なっているが、まだまだどうして、たいしたものである。しっぽの先の散開星団もちゃんと見える。
なによりの圧巻は、いて座付近の天の川である。これほどきれいに見えることは滅多にないと思い、ちょっとデジカメで写真を撮ってみた。
いて座付近の銀河(撮影データは脚注参照)
七夕は何もせずにやり過ごしたが、本当の七夕は旧暦の7月7日、今年は8月13日になるらしいと知って、なんとなくほっとする。子どもの頃は、自分で調達した笹を学校に持って行って、図工の時間に、折り紙で作った飾りや願い事を書いた短冊を結び付け、各自それを家に持ち帰って軒先にかざすという習慣があった。近頃あまり見かけなくなったが、どうなのだろう。
函館出身の知人から聞いて知ったことだけれど、当地では、七夕の日の夜に子ども達が集まって町内の家々をめぐり、「ろうそく一本ちょうだいな」と歌い、お菓子をもらったりするのだそうな。「まるで、ハローウィンのようでしょ」と話してくれたが、その時に思い出していたのは、『銀河鉄道の夜』に出てくるケンタウルス祭のこと。
この作品の四章「ケンタウルス祭の夜」から、この祭の様子を彷彿とさせる記述を拾ってみる。
街燈はみなまっ青なもみや楢の枝で包まれ、電気会社の前の六本のプラタヌスの木などは、中に沢山の豆電燈がついて、ほんとうにそこらは人魚の都のように見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走ったり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしそうに遊んでいるのでした。(略)十字になった町のかどを、まがろうとしましたら、向うの橋へ行く方の雑貨店の前で、黒い影やぼんやり白いシャツが入り乱れて、六七人の生徒らが、口笛を吹いたり笑ったりして、めいめい烏瓜の燈火を持ってやって来るのを見ました。(略)「川へ行くの。」ジョバンニが云おうとして、少しのどがつまったように思ったとき、「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」さっきのザネリがまた叫びました。
最後の「川へ行くの。」から、子供達が烏瓜をくりぬいて中にろうそくを灯した燈火を川に流したりするのかなと、勝手に想像したりする。
ところで、ケンタウルス座そのものは春の星座で、しかも中心緯度がー50°付近の南天の星座なので、沖縄以南でないと全体は見えない。一方、ジョバンニの父親はらっこ捕りに行ったという設定から、舞台はケンタウルス座の見えないやや北の地方ではないかと思われる。このようなことから、「ケンタウルス祭」と「ケンタウルス座」を結びつけるのは無理があるかなと、以前から考えていた。
しかし、今になって、下半身が馬で上半身が人というケンタウロス族は、いて座の射手もそうであったと思い出す。そう考えると、夏の夜の祭であるらしい賢治の「ケンタウルス祭」は、我が銀河系の中心方向に位置するいて座を愛でるものではないかと、これも勝手に想像してみる。
----------------
注)f = 50 mm、F2、露出6秒・固定、感度 ISO 3200 相当
横位置の画角で撮ったものを上下に二枚繋げたもの。
古いフィルムカメラのレンズを使ったために像があまい。
絞りを開放(F1.2)にすると収差がひどいので絞ったら、さすがに暗い。
元画像を拡大してみると、6秒でも星像が流れているので、f 50 mmだと、これ以上の露出はかけられない。