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シリアへの軍事介入に反対する

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 軍事ジャーナリスト黒井文太郎氏による「「どこの国でもいいから助けてくれ!」シリア国民の悲痛な叫びを聞いてほしい」と題する9月9日付の記事を無批判に拡散している人がいるが、有害だと思うので手短に異論を表明しておきたい。

 2011年1月から続いているシリア国内におけるアサド政権軍と反体制派の武力衝突は、国連などにより「事実上の内戦」と評される危機的状況に陥っており、先頃のG20においてもアメリカ主導の軍事介入の是非をめぐって激論が交わされた。アメリカが軍事介入すべきだと主張する(表向きの)理由は、アサド政権が市民に向けてサリンなどの化学兵器を使用し、罪もない子供たちが大勢犠牲になっているというもの。

 特に、8月21日の政府軍によるまとまった攻撃の最中に起こった化学兵器使用の強く疑われる惨状の現場写真や動画がネット上にアップされるに及んで、国際世論の中にアメリカ主導の軍事介入を待望する論調が台頭してきた。黒井氏の記事は、日本国内におけるその最も典型的なものである。

 一方、化学兵器が「使用」されたこと自体は認めつつも、誰がそれを実行したのかについては様々な憶測を交えた異論もまた根強く主張されている(末尾にリストした)。こうした見解は、アサド政権側が、国際的に大きな批判がわき起こるであろうことを承知の上で化学兵器を使用するメリットは何もないという状況認識や、イラクへの軍事介入の際にも大量破壊兵器の存在が理由とされたが、実際には嘘であったことが明らかになったという経験に発しているだろう。

 私は、ここで事の真相についての私見を語るつもりはないし、もとよりそうした能力もないが、黒井氏の記事を読む上で注意を払うべきことが二点あると思うので、そのことだけを書いておきたい。

 第一に、軍事介入によらずに「内戦」を終結させる道が完全に閉ざされている訳ではないということ。たとえば、黒井氏の記事がアップされるより10日前、反体制派主要組織「シリア国民連合」のハティブ前議長は、毎日新聞のインタビューに応え、「交渉による解決こそが最善の道だ」と述べている。

 また、Avaazキャンペーンは、8月に就任した穏健派のイラン大統領ロウハニがシリアでの化学兵器使用を非難し、米国などとの対話に前向きな姿勢を見せていることから、オバマ大統領とともに紛争当事者も含めた交渉を始めるよう要請する国際署名活動を始め、短期間に 90万人以上の署名を集めた。署名者は今現在もさらに急速に増え続けている。

 第二に、「内戦」を止めさせるための軍事介入が不可避になったとして、それが、武力を後ろ盾とした調停作業という性格のものになるのか、それとも、アサド政権をたたきつぶすための戦争になるのか、そのどちらであるかは介入の理由によって異なってくるということ。そうである以上、化学兵器をどちらの側が使用したかは、無視できない論点になってくる。

 ここで、黒井氏の記事から共感を集めていると思われる箇所を引用しよう。

 少なくとも政府軍による空爆や砲撃に日常的に晒され、肉親や友人を殺害され続けている側のシリア国民にとって、外国軍の軍事介入こそが望みの綱だ。彼らにすれば、別に米軍でなくても構わない。どこの国でもいいから助けてほしいのだ。

 アサド政権の同盟者であるロシアの拒否権により、国連安保理が機能を停止しているから、米軍などによる軍事介入は確かに国際法の裏付けがない。しかし、そんなことは、日々殺され続けている人々にとっては関係ない。

 仮にここでアメリカが手を引けば、アサド政権は「何をやっても、結局はアメリカは手を出せない」と判断し、それこそ無制限に化学兵器を乱用し、無差別砲撃や空爆をさらに拡大するだろう。外国軍が軍事介入しないとなれば、さらなる大虐殺が行われることになるのだ。「アメリカが勝手に他国を攻撃していいのか?」という見方には、こうした現地事情への視点が欠けている。

 かつてベトナムがカンボジアに侵攻したことで、同国の国民はポルポト派の大虐殺から救われた。ルワンダでは、ウガンダがツチ族ゲリラを支援したことで、フツ族民兵による大虐殺にストップをかけることができた。誰でもいいのだ。とにかく進行中の虐殺を止めることが、最も重要なことなのではないか。

 仮に黒井氏の主張がこれだけであったとすれば、完全には同意できないながらも、私としてあえて異論をさしはさもうとは思わなかっただろう。だが黒井氏は、この10倍以上のスペースをアサド政権への非難に費やしている。イラク市民の悲痛な叫びを代弁するかのごとき体裁をとりつつ、ジャーナリストらしからぬ一方的な決めつけの多い内容だ。かくも一方的に、アサド政権だけを非難する論調をもとに軍事介入が行われるとすれば、それは、アサド政権をたたきつぶすための戦争という形になるだろう。第二のイラクになるのは必至である。

 「第二のイラク」という言葉で私がイメージするのは、終わりの見えない暴力の連鎖である。戦争とその後のテロによるイラクでの民間人死者は現在も増え続けている。2003年の開戦以来、民間人の犠牲者をカウントし続けているIraq Body Countの集計によれば、本年6月までの合計の死者数は114,407 ~125,381人とのことだ。しかも、2010年に年間死者数4,109人まで減ったものの、その後は増加に転じ、今年は6月中途の段階で既に2,760人に達している。戦争によってもたらされた貧困・飢餓・疾病による間接的な死者は65万人とも120万人以上とも言われている。

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 この事実だけでも、武力によって平和は守れないということがわかる。その意味では武力に頼った反体制側にも責任の一端はあるのではないかと思う。私の身近にいるシリアからの留学生も同じ意見だ。

 最後に、黒井氏の記事とバランスをとる意味で、反体制派側が化学兵器を使用したと主張するサイトなどを紹介しておきたい。

1)藤永茂氏(注1)の『私の闇の奥』の「もう二度と幼い命は尊いと言うな」と題するブログ記事(8月30日付)



4)念のため、泥憲和さんの投稿[CML 026353]では、8月21日には36カ所にも及ぶ化学兵器攻撃が実施されたとあり、これは上記3)で主張されている「誤爆」説では説明困難な情報だ。


このブログ内の関連記事:護憲派はパレスチナ問題をどう考えるか(2009/1/26)

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注1)私が院生であった80年代、カナダの大学に在籍されていた藤永氏は、岩波の『科学』に「かえで通信」というコラムを連載されていて、私はこれを愛読していた。この連載が終わると、研究上のコミュニティが異なることもあって、その後接点はなくなっていたのだが、2年ほど前に偶然ウェブ上に『私の闇の奥』を見つけ、ご健在であることを知り、また、そこに書かれている記事内容に共感を覚え、再びこれを愛読するようになった。

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