はじめに
東電原発事故による放射能汚染で、今一番気にすべきはCs-137である。何しろひどく汚染された地域では2011年11月5日時点で300万 Bq/m2 以上もの高濃度となっている(資料1)。広島原爆による黒い雨の降雨地域においてさへ、高いところでも数万 Bq/m2と推定されていること(資料2)を考えると、途方もない高濃度である。尤も、原爆によるフォールアウトでは極短寿命核種による被曝影響が圧倒的であり、そのまま比較することはできない。
この点、原発事故においてはヨウ素による被曝影響が一番の問題であることはチェルノブイリの経験から明らかで、そのため、特に幼少年の甲状腺異常を丁寧にフォローし続けることが課題となっている。しかしヨウ素の放射性同位体は半減期が短いので、この先の被曝防護という点ではもう気にしなくても良いレベルとなっている。一方、特にCs-137は、半減期が30年余りと長く、長期戦を覚悟しなければならない状況である。
そこで、Cs-137について今一度整理してみたい。ここでは特に、内部被曝線量を見積もるための預託実効線量換算係数の導出過程を軸に述べる。8年前に「エックス線作業主任者」の資格を得た際の試験科目の一つに「放射線の生体に及ぼす影響」があり、その受験参考書の雑ぱくな記述から得た知識にいくつかの誤りのあることが最近になってわかり、この記事をまとめる動機となった。
実効線量換算係数は、なぜ、幼児より成人の方が大きいのか
例えば、細胞分裂が盛んな臓器ほど被曝影響は大きいので、等価線量から実効線量へ換算する際の組織荷重係数は、細胞分裂の盛んな生殖細胞や造血細胞で大きくなるという現象論的な説明を学ぶ。細胞分裂を起こす際には染色体の二重らせんがほどけて無防備になるのでDNAが損傷を受けた際の修復が困難になるという実体論的な説明を知ったのは後年のことである。同様の理由で、細胞分裂が盛んな乳幼児の方が成人よりも放射線による被曝影響は大きいと習う。そこで例えばヨウ素-131について、甲状腺等価線量を見積もる際の線量換算係数が、成人の3.2E-4(3.2かける10のマイナス4乗)mSv/Bq に対して、乳児では2.8E-3 mSv/Bq と、およそ9倍も高くなっている(資料3)・・のだと早合点していた。
ところが、Cs-137について調べてみると、その全身被曝に与える預託実効線量換算係数は、成人の1.3E-5 mSv/Bq に対して5歳児で最も小さな9.6E-6 mSv/Bq となっている。放射線感受性の大きな幼児の方が小さな換算係数となっているのはどうした訳かと思った次第。調べてみて、実効線量換算係数に年齢毎の放射線感受性の違いは全く反映されていないということが分かった。
セシウムの体内動態モデル
重要なのは、セシウムの体内動態モデルであるが、ここではICRP Publ.67(1994)のモデルを採用する。その要点は資料4のP15にまとめてあるが、詳しい解説はIAEAのレポート(1998;資料5)で読むことができる。
セシウムはカリウムと同族のアルカリ金属元素であるが、生体必須元素であるカリウムの方は人体中の濃度がおよそ0.2%になるよう、細胞膜におけるNa-Kイオンポンプの作用によって強力に制御されている。その結果、標準的なモデルにおいて細胞内液中のカリウムの濃度は細胞外液(血液、間質液、尿)中の濃度のおよそ30倍となっている。体重70 kgの成人の場合、その0.2%の140 gが平衡量として含まれていることになる。
日本の成人男性の平均的なカリウムの摂取量は1日あたり2.5 gである(資料6)。日々2.5 gのカリウムを摂取して平衡量が140 gとなるための生物学的半減期を計算すると39日となる。一方、一日の摂取量が0.8 gと少なくてもおなじ平衡量が維持されるとの報告がある(資料6)。この時の生物学的半減期は121日となる。このように、カリウムの生物学的半減期は、摂取量が多い時に短く、少ない時に長くなる。カリウムの摂取が多いとセシウムの排泄が増加することを示唆する研究もあり(資料4のP19)、Na-Kイオンポンプはカリウムとセシウムをうまく区別できずにいると考えられる。
いずれにしても、細胞の外と内とで異なる挙動を示す場合、そのことをより正確に表現するためにはそれぞれのフラクションについて独立の生物学的半減期を与えるのが良い。そこで、細胞の外と内に存在するセシウムの分率をそれぞれa1, a2(a1 + a2 = 1)、それぞれの生物学的半減期をT1, T2とする。資料5には、6つの年齢層に分けて、その標準体重とともに、それらの値がリストされているが、ここで必要な所量は以下のとおりである。
標準体重 (kg)a1a2T1(日)T2(日)
5歳児190.450.559.1 30
成人700.10.92110
セシウムの放射化学的性質
以下は、Cs-137の放射化学的性質に関係する所量である。(資料7、および資料8)
物理学的半減期(T0):30.08 y=10979 d (壊変定数(λ0): 6.313E-5 1/d)
1崩壊あたりのγ線の平均エネルギー:0.563 MeV
1崩壊あたりのβ線の平均エネルギー:0.19 MeV
β線の人体への吸収率:飛程が短いので体内からの放射においてはほぼ100%吸収される。
γ線の人体への吸収率:資料9によるとCs-137からのγ線が人体中で吸収されて半分に減弱する距離(半価層)は8.1 cmということなので、人体内から放射されたCs-137からのγ線は、およそ半分が人体に吸収され、のこりは体外へ放射されると考えられる。ここでは、5歳児の吸収率を45%、成人の吸収率を50%とする。
MeVからジュール(J)への換算係数:1.602E-13 J/MeV
Cs-137の預託実効線量換算係数の導出
預託実効線量について、ICRP-Publ. 67では、摂取時点から70歳になるまでの期間の被曝線量を積算して評価しているが、ここでは5歳児について70年間、成人については50年間の実効線量を積算したものとする。セシウムの生物学的半減期が短いことから、どちらでも結果にほとんど差はない。同じ理由から、物理学的半減期の効果を計算から除外してもほとんど違いがないので、ここでは無視する。
1)1崩壊あたりの吸収エネルギー(E0)
E0 (J) =(γ線のエネルギー × 吸収率+β線のエネギー)× ジュールへの換算係数
5歳児: (0.563 MeV × 0.45 + 0.19 MeV)× 1.602E-13 J/MeV = 7.103E-14 J
成人 :(0.563 MeV × 0.50 + 0.19 MeV)× 1.602E-13 J/MeV = 7.553E-14 J
2)積算期間における崩壊原子数(D)
1 Bq の1日あたりの崩壊数は、60 × 60 × 24 = 86400であり、 t 日後の値は排泄にともなう親核種の減衰を表現した次式によって示される。
N = N0 × e^(-λt) (生物学的半減期をTとするとλ= ln(2)/T、N0 = 86400)
積算期間の体内での全崩壊原子数(D)は、上式を積分した N0×(1/-λ)× e^(-λt)の定積分値として求めればよい。ただし、半減期が異なるフラクション毎に求めた値に存在度を掛けて合計する。
5歳児の細胞外フラクションについて、
D1= 細胞外の存在分率 × 70年間の積分値
= a1× 86400 ×{(1/-λ1)× e^(-λ1× 365 × 70)- (1/-λ1)× e^(-λ1× 0)}
ここで a1 = 0.45、λ1= ln(2)/T1 = 0.693/9.1 = 0.0762 を代入すると、
D1 = 5.104E+5 となる。
同様に5歳児の細胞内フラクションについて、a2= 0.55、 λ2= 0.693/30 = 0.0231 をもとに計算すると、
D2 = 2.05E+6 となり、合計の崩壊原子数は、2.567E+6 となる。
同様に成人について50年間の積算値を求めると、
D1 + D2 = 2.493E+4 + 1.234E+7 = 1.237E+7 となる。
3)預託実効線量換算係数への変換
5歳児における積算吸収エネルギー(E)は、
E = 7.103E-14 × 2.567E+6 = 1.823E-7 J となる
吸収線量(J/kg = Gy)は1 kgあたりの吸収エネルギーなので、5歳児の標準体重19 kgで割ると、
1.823E-7 ÷19 =9.60E-09 J/kg となる。
これは、γ線とβ線による全身の被曝によってもたらされた吸収線量なので、そのまま実効線量(Sv)に読み替えることができる。また、この値はもともと1 BqのCs-137を経口摂取した際の預託実効線量として求められたので、そのままCs-137の経口摂取における預託実効線量換算係数(単位Sv/Bq)となる。これを1000倍すると、9.60E-6 mSv/Bq となる。
同様に成人について計算すると、
E = 7.553E-14 × 1.237E+7 = 9.341E-7 J となる。
成人の標準体重70 kgで割って1000倍すると、成人の換算係数は1.33E-5 mSv/Bqとなる。
まとめ
1 BqのCs-137を経口摂取した際の計算結果をまとめると以下のようになる。
吸収エネルギー(J) 実効線量換算係数(mSv/Bq)
5歳児1.823E-7 9.60E-6
成人9.341E-71.33E-5
この値はICRPの推奨値(資料4)とほぼ等しいが、γ線の吸収率やセシウムの体内動態モデルなど個人差の大きな要素も多いので、精密に求める意味はない。特に、体重の違いが直接反映されるので、同じ5歳児でも体重が半分ならこの係数は2倍になる。
結局、幼児と成人におけるセシウムの生物学的半減期の差が大きく影響して、このような「逆転」が生じているのであるが、放射線感受性の違いが全く考慮されていないことは理解しておく必要がある。
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資料1)文部科学省による第4次航空機モニタリングの測定結果について(文部科学省、平成23年12月)ヘリコプターによるモニタリング結果を平成23年11月5日時点に換算したもの
資料2)広島原爆“黒い雨”にともなう放射性降下物に関する研究の現状(広島“黒い雨”放射能研究会、2010年5月)
資料3)環指第5-3号「線量評価用パラメータの見直しについて」(原子力安全委員会事務局平成19年12月)
資料4)薬事・食品衛生審議会 食品衛生分科会放射性物質対策部会資料 (平成23年5月)
資料5)Dosimetric and medical aspects of the radiological accident in Goiânia in 1987(IAEA TECDOC-1009;ファイルサイズ:10.69 MB)
資料6)「日本人の食事摂取基準」策定検討会: “日本人の食事摂取基準”-6. 1. 2.カリウム(K)(厚生労働省2010年. pp. 192–194)
資料7)核データの表、55-Cs-137(日本原子力開発機構、核データ評価研究グループ編)
資料8)Radiological and Chemical Fact Sheets to Support Health Risk Analyses for Contaminated Areas(Argonne National Laboratory Environmental Science Division, 2007)
資料9)ハイテクプラザにおける工業製品の放射線測定と今後の取り組み(福島県ハイテクプラザ放射能対策チーム、平成23年10月)