はじめに
東電原発事故で放出された放射能による低線量被曝のリスク評価をめぐって深刻な対立が続いている。リスクを管理する側である、行政・官僚の視点(論理)ではなく、その受容を迫られる側である被災者・市民の視点(論理)に立って思いつくところを列挙すると以下のようなものだろうか。
1.たとえどんなに低いレベルでも、低いなりの危険性がある。
2.危険性については良く分からないが、どんなに低くても安心できない。
3.法令にある1 mSv/y未満の上乗せなら我慢しようが、それ以上我慢しなければならない謂われはない。
4.不安はあるが20 mSv/y 以下なら国に協力して生活に気をつけながら我慢しようと思う。
5.国が言うのだから、20 mSv/y 以下なら大丈夫だと思う。
6.100 mSv/y 以下ならあまり気にしない。気にしすぎてストレスをためる方がよほど問題。
7.100 mSv/y 以下ならホルミシス効果で却って健康に良い。
他にもあるに違いないが、このように意見が分かれるのは、専門家の見解そのものが多様であることから来ているのだろう。そして、お互いに罵詈雑言をもって非難し合っているのが現状だ。リスクは大きいと主張する側(以下、「危険側」)は、低線量被曝のリスクは基本的に未解明であり、予防原則に則って、特に子供の命を守れと主張する。リスクは小さいと主張する側(以下、「安全側」)は、未解明だとしてもリスクは青天井ではない。不安を煽るのは却って健康リスクを増やし、犯罪的ですらあると主張する。
それにしても不思議に思うことは、あたかもリスク管理者であるかのようにふるまって、異なる意見の者に説教を垂れる人々が多いことである。
問題は天然放射能と人工放射能の違い
両者の意見にはどちらにもそれなりに根拠とされるものがあるが、結局のところ、その溝が埋められないのは、どのレベルから「青天井」と評価するのか、クロ、グレーゾーン、シロの境目をどのレベルに設定するのかといった具体的な点を議論しようとしても、共通の土俵に立つことを阻む要因があるからだ。
1~2 mSv/y 程度の線量に不安を抱く者に対する「安全側」の決め台詞が、「自然放射線のレベルだから気にしなくて良い」、というもののようであることからすると、自然放射線量が「青天井論」の一つの目安になっているのだろう。中にも、インドケーララ州(注1)やブラジルのグァラパリ(注2)の、平均3.5 m~5.5 mSv/y を持ち出したり、あるいは、それらの地域の上限値を持ち出したり、もっと放射線量の高い、しかも平均寿命の低い過疎地域の特殊な例が参照されたりもするので一筋縄ではいかないのであるが、いずれにしても、自然放射線量との比較が決め台詞として有効だと思われているとすれば、それは全くの勘違いである。
なぜなら、「危険側」の人々の多くは、理解の仕方は様々であるにせよ、天然の放射能と人工の放射能は違うので単純には比較できないと考えているからである。そもそも、ほとんどの人は、今や自然の放射線レベルについての基本的な知識はあるのだから、この期に及んでそれを持ち出すのは、素人をバカにした態度である。
天然の放射能と人工の放射能は違うという考えから、空間線量が自然放射線のばらつきの範囲内のものであってもこれに恐怖を抱く、あるいは、体内に取り込まれる放射能が、もともと生体必須元素として常駐しているカリウムなどの放射能レベルに比べて取るに足らないものであってもこれを恐れ、その防御のために大変な労力を割いている人々がいる。自然放射線と人工放射線、あるいは外部被曝と内部被曝による影響を Sv という尺度で統一的に語る事を拒んでいる人々も少なくはないのである。彼らにしてみれば、味噌もクソもいっしょくたにしているということになる。
「天然と人工は違う論」の背景
このアイデアは、生命は、長い進化の途上で天然の放射能に対する防御の仕組みを備えてきたが、人工の放射能への備えはないに違いないという発想に根ざしている。こうした発想は、例えば単体元素の化学毒性は、地殻中、あるいは海水中の元素存在度の小さなものほど大きいという、生命誌や地球化学や表層環境化学の教科書に記述されているような経験則とも合致しており、例外はあるものの、それ自体は決して無視して良い暴論というものではない。
地球創生期の頃は放射性核種の存在度は今よりずっと高く、強い宇宙線や紫外線も降り注いでいて、生命は、誕生した40億年ほど前から10億年以上もの長い間、海底下で細々と生きながらえてきた。その後始生代末期(26億年ほど前)に地球液体核の成長とともに地球磁場が誕生してバンアレン帯が形成され、宇宙線の大部分がカットされるようになると、太陽光線が届く浅海において光合成で酸素を生み出すシアノバクテリアが爆発的に増殖した。海水中の鉄が酸化されて大規模な縞状鉄鉱床が形成されたのはこの頃である。20億年ほど前に存在した中央アフリカのオクロ天然原子炉の形成は、遊離酸素の増加による堆積岩中の酸化・還元状態の多様化に起因しているが、この頃に真核生物も出現している。やがて大気中の酸素量も増加して、顕生累代に入った5.4 億年ほど前になるとオゾン層が形成され、紫外線もカットされるようになり、やっと陸上生物が出現したのである。
地球と生命の共進化の歴史をこのようにふり返ると、生命というものは、本質的に放射線や紫外線に弱く、その減少とともに、ぎりぎりのところで今日の繁栄を築いてきたと言える。その進化の過程では、放射線によって損傷した遺伝子の修復機能も発達してきたと考えられ、実際、その修復機能は高等動物において優れていることがわかっている。もし、人工放射能が、天然のものとは異なる物理化学的性質を有するとすれば、それへの備えは生命の進化の過程では獲得され得なかったと考えるのも故なしとは言えないであろう。
なお、オクロの天然原子炉で生まれた核分裂生成核種は原子力発電所で生み出される放射性核種と全く同じものであるが、全て半減期が短いために、地球史の時間スケールではあっという間に消滅してしまった。また、核燃料となるU-235はU-238よりも半減期が短いために同位対比が減少し、その後二度と天然原子炉が形成されることはなかった。したがって、その後の20億年におよぶ進化の歴史を経て様変わりした今日の生物界にとっては、原爆や原子力発電所で生み出される放射性核種は、実質的に天然には存在しないものとみなして良い。
天然の放射性核種群と人工の放射性核種群との間に物理的な差異はない
以上に述べたことは状況証拠に過ぎない。やはり具体的なメカニズムに即した説明が必要であろう。この点、放射線の生物学的影響は、中性子線が問題となる核爆発や臨界事故を除けば、基本的にはα・β・γ線の作用によるものであって、天然の放射線も人工の放射線も特に異なる点はないとする反論がある。
また、天然の放射性核種群と人工の放射性核種群の物理的差異という問題設定でも、本質的には何も違わないと言える。唯一の違いは、自然放射線への寄与率の大きな親核種であるU-238, U-235, Th-232, K-40の4種が、何れも半減期が億年~百億年単位の長寿命のものばかりという点である。しかし、K-40以外の3種は壊変系列をなし(注3)、それらは、極短寿命のものから中~やや長寿命のものまでの様々な放射性中間娘核種を生じる。人工の放射性核種の半減期は、ほぼそれらの範囲内にあり、Pu-239もα壊変して天然にもあるU-235となる。
放射線のエネルギー領域にも特段の違いはない。そのため、γ線スペクトロメトリ-においては、エネルギー分解能が低いと天然、人工入り乱れての核種の同定ミスも起こる。また、あるエネルギーのβ線を捉えたとしても、それがどの核種から放射されたものかを一義的に決めることはほぼ不可能である。当然、生体はそれらを識別できない。
くり返すと、核種レベルでの物理的性質を比較する限り、両者に本質的な違いはないと言える。核爆発や原発事故で問題となる人工放射能の特徴は、高濃度で生み出された短寿命核種によって、空間線量率が天然ではあり得ないほど高くなる点であるが、それも自然放射線のレベルにまで下がればもう問題はないとされる所以である。
化学的な性質は違うが被曝線量はSvという共通の尺度で比較可能
一方、放射性元素の化学的性質については、天然核種と人工核種で個々に個性があり、内部被曝において大きな違いが生まれるとの主張がある。たとえば、市川定夫氏(埼玉大学名誉教授、放射線遺伝学)は、セシウムは生体必須元素であるカリウムと同じアルカリ金属に属するのでカリウムと混同されて生体に取り込まれるものの、生物学的半減期が長いために人体中に濃縮され、健康へのリスクは大きいと主張している。
天然放射能と人工放射能は違う!(YouTube)
たしかに、セシウムとカリウムの体内動態は大きく異なっている。前回の記事でもふれたように、生体必須元祖であるカリウムは体内濃度が0.2%程になるよう強力に制御されているが、無用な微量元素であるセシウムは、基本的には摂取量に依存して体内蓄積量も決まってくる。
人体中でのセシウムの挙動、特に蓄積平衡量やカリウムとの比較については、学習院大の田崎晴明氏による「食品中のセシウムによる内部被ばくについて考えるために」というページに良くまとめられている。
また、甲状腺へのヨウ素の濃縮や、骨組織へのストロンチウムの濃縮も天然核種では問題にならなかった現象である。
しかし、いずれにしても、それらの被曝影響が Sv という単位で統一的に把握できるものである限りにおいて、天然、人工にかかわらず相互に比較可能であり、内部被曝についても、自然の状態と比較してどれほどのリスクがあるのか議論可能である。したがって、冒頭に示した問題設定において、これらの違いが問題になることはなく、「青天井」のレベルについても議論可能なのである。
さて、表題にある通り、私は天然放射能と人工放射能に本質的な違いがあると考えているので、次回は、ホットパーティクルの取り得る放射能レベルという観点でその違いを述べてみたい。
(続く)
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注1)ケーララはインド南西沿岸部の州。海岸の砂浜にはモナザイトが多く含まれ、平均の放射線量は3.5 mGy/y とされる。市川定夫氏によると、ダウン症が多発しており、生まれる子供の性比にも偏りがみられるという。なお、インドの2009年時点の平均寿命は65歳である。
注2)グァラパリはブラジル沿岸部の人口10万人あまりの観光都市。Wikipedia には以下の記述がある。
グァラパリは世界でも有数の自然放射線量の地域としても知られる。グァラパリの周辺地域には放射性物質を含むモナザイトが多く埋蔵されており、このモナザイトが砂として海岸に堆積した為とされている。その線量は年間0.9~28 mGyで平均で5.5 mGyである。地域の有意な健康への影響は確認出来なかった等の調査報告もあり、日本においては電力会社が自然放射線量及び原子力発電所の安全性を説明する場合において、この都市を事例の一つに用いる場合もあったが、一方で、内部被曝によるものと思われる末梢血リンパ球の染色体異常や、対照地域に比べて癌の死亡率が高いとする調査報告もある。
なお、ブラジルの2009年時点の平均寿命は73歳である。
注3)Pu-239を親核種とし、天然のU-235を経由するアクチニウム系列、U-238を親核種とするウラン系列、Th-232を親核種とするトリウム系列があるが、その詳細についてはWikipediaや理科年表を参照のこと。