牧野淳一郎著『原発事故と科学的方法』(岩波書店)を、発売後すぐに手に入れて、先週末に読んだ。既にすぐれた書評があちこちに公表されているので、ここでは、書評ではなく、読みながら思い出したことなどメモしておく。
内容はたいへん分かり易く、ほぼ一気に読み進めることができた。それでもところどころ、記憶がかってににあふれだし、立ち止まってしまうところもあった。まず、「序章 3.11から最初の一週間」を読みながら、私にとっての「最初の一週間」がよみがえってきた。正確に言えば「最初の十日間」である。その、初めの三日間のことは、ここやここに書いている。
私は、四日目(3月14日)早朝から8日間の出張が控えていて、その前の三日間は、娘や友人達の安否を確かめ、原発関連の報道に特別に注意を払うよう伝えるのがやっとであった。携帯メールの送信記録を見ると、
3月11日、18:57「原子力発電所の事故についての情報に注意して下さい」
3月12日、14:27「原発の情報に注目しつつ関東圏から脱出する準備を始めて下さい」
などとある。
入試業務もあり、出張の準備も忙しく、情報を収集して予測をもとに的確な指示を下すことなど最初から断念し、自宅にいる間、テレビのチャンネルを頻繁に変えながら原発関連報道を録画し続けるのがやっとだった。結果的にそれは、今では貴重な(虚偽発表報道の)記録となっているが、当然、当時は何の役にも立たなかった。
出張先では、事故の情報を入手するのが極端に難しくなり、3月21日に帰るまでに得た情報は微々たるものに過ぎない。11日夕方の第一報を受けてすぐに「電源喪失事故」という言葉が脳裏に浮かび、大変なことになると予想直感しながらも、要するに、最初の十日間、私には何もできなかったのである。これは、私にとっての「悪夢」であった。
次に、同じ序章の「高校生の頃に岩波新書の『原子力発電』(武谷三男編、1976年)を読んでいて、大学でのサークル活動や自主ゼミでも原発の安全性などについて勉強会をしたことがあったので」というくだりを読んで、さらに昔のことが思い出され、再び中断を余儀なくされた。おそらく、この牧野さんの本をどう読むかは、3.11前に原発に対してどのようなスタンスで臨んできたかという「個人史」にもかかわって、人それぞれに異なってくるだろう。
原発の問題にかかわる「科学的方法」の実践が容易でないのは科学を取り巻く社会的な構造から招来するもので、その状況認識ができていないと、その実践はいっそう困難なことのように思われる。名古屋工業大学の市村正也さんが 3.11の前から指摘していたように、リスク評価に際しては、関係者がルールを破るリスクや、専門家が故意に噓をついたり情報を隠蔽したりするリスクを考慮しなければ、実践的な過誤、そして社会的な災厄を生む。
そうしたリスクは、ふつうは「科学」の世界では無視されてしまうのであるが、しかしそのことは、3.11の前から原発に関心をよせてきた者にとっては、その関心のありようによって様々なレベルで常識的なことであった。 3.11後に東電原発事故をめぐって科学者達の世界におこった一見カオスのような様相も、このことが個々の科学者にとっての分岐点となって顕れた結果ではないかと思う。
私が原発に関心をいだくようになったきっかけはTMI原発事故(1979年)であるが、何か特別のことを始めた訳ではない。ただ、その後いろいろな情報を得るうちに、日本の「公開・民主・自主」の原子力平和利用の三原則は欺瞞に満ちたものだと考えるようになっていた。こちらに書いたようなことである。
続きは、牧野さんの本から離れてしまうので、一旦ここで筆を置く。