TMI 事故の前から、原発新増設への抵抗はそれなりにあったようだが、それぞれの地域の問題とみなされていた。多くの科学者は「平和利用」という呪縛から解かれず、「反原発」の理念もごく一部の先進的な人のものに過ぎなかったように思う。それも各自ばらばらで、75年に発足した「原子力資料情報室」においてさえ、武谷三男氏と高木仁三郎氏との間で、運動の方針をめぐる確執があったようである。
そうした諸々の背景には、原水爆禁止運動の分裂が長期に渡って固定化されていたことも影を落としていた。それでも82年には、核戦争の危機に抗した統一行動として、「82年 平和のためのヒロシマ行動」(反核20万人集会、3/21)や「82年 平和のための東京行動」(40万人集会、5/23)が実現し、さらにニューヨークでも6月12日に100万人規模のデモが行われたりと、運動そのものは大きな高揚をみせていた。この年のことについては、ジャーナリスト岩垂 弘氏による「核兵器完全禁止へ――内外で空前の盛り上がり」に詳しい。ちなみに私は、大江健三郎氏の講演を聴きたい一心で広島集会へ参加した。写真はその時に撮ったものである。
ところがこの高揚は、少なくとも日本では、あっという間にしぼんでしまった。統一行動の際の団体旗の規制問題などの収拾がつかず、84年には共産党の組織的介入によって原水協幹部や彼らを支持した古在由重氏(天文学者古在由秀氏の叔父)など大勢の党員が党籍を剥奪されるということがおこった。自ら離党する人もあいついで、共産党の退潮はこのことによって加速していった。
「原水禁」と「原水協」の統一が叶わなかった遠因には、原発へのスタンスの違いもあった。「原水禁」は、放射能による被曝の危険性において核兵器も原発も同等との主張で反対、「原水協」は、反原水爆でスタートした運動の中に一致できない課題を持ち込むべきではなく、原発は不問に付すという立場であったと理解している。この「原水協」の立場は、「平和利用三原則」が守られるなら原発を容認するという共産党のスタンスからきていたのだろう。共産党系と目されている「日本科学者会議」のメンバーに原子力関連の研究者・技術者が大勢いたのも事実である。したがって、「容認」は、実質的に「推進」に荷担する結果を生んでいた。原発や核廃棄物処分場建設の候補地となった地方自治体では、私の知る限りどこでも共産党はその建設に反対の立場をとっていたのであるが、これは、ゴミ焼却場反対運動のような性格のものにすぎなかったのである。
やがて86年にチェルノブイリ原発事故がおこると、それまでに立ち上がっていた草の根的な反原発運動が日本のあちこちで息を吹き返した。院生達を誘って広瀬隆氏の講演会に行ったのは、その数年後だったと思う。その会場で手にした著書『東京に原発を!』(1981)は、問題の本質をついて人々を覚醒させる力があり、新鮮な感慨を呼びおこさせた。ベストセラーとなった『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』(1987)は読んでいないが、多くの人々が広瀬氏の影響を受けた。
広瀬隆講演会で配られたアンケートに、反原発コミュニティの連絡誌の購読希望を記入したことをきっかけに、一つの小さな反原発グループとの付き合いが始まった。高木仁三郎氏に会ったのは、そのグループからの誘いによる。参加者10名に満たないこぢんまりとした集まりだった。以来、求めに応じて知る限りの知識を提供し、協力するという関係が続いたのだが、むしろ、こちらの方が勉強になることが多く、私のかかわりは受動的なもので、積極的に何事かをなすということはなかった。
やがて、高木氏らの指摘によって、広瀬氏の主張にいくつかの無視できない事実誤認が含まれていること、そして、それらの誤りが反原発グループの中に蔓延し、運動の障害にもなっていることを知った。誤解をおそれずに書いておくと、私自身は、揺るぎない反原発の理念を広瀬隆氏から学んだと自覚している。一方で広瀬氏の人物像については、性急な変革を望み過ぎて失敗するタイプの扇動家のように感じていたのも確かである。
そうした中、正確な情報を求めて読んだのが、武谷三男編『原子力発電』(岩波新書、1976)と、日本科学者会議編『原子力発電 知る 考える 調べる』(合同出版、1985)であった。両方とも、今でも通用し、必要とされる名著であるが、後者の方はあまり知られていないようなので簡単に紹介しておこう。
21人の専門家集団(注1)により執筆された400ページほどのこの本は、原発にかかわるあらゆる分野の、原理、歴史、現状、問題点などが網羅的に整理されていて、すぐれた資料集となっている。「まえがき」には、筆者集団は日本科学者会議のメンバーである旨書かれている。いろいろ調べると、この本の出版は、日本科学者会議の原発に対するスタンスが大きく転換するターニングポイントになっていたように感じられる。共産党が国政の場で盛んに原発の問題をとりあげるようになるのは、この本の出版からさらに15年以上を経過した後のことである。組織であっても、個人であっても、過去の過ちを認めることは現状の責任を引き受けるということであって、なかなか容易なことではない。今もなお、原水爆禁止運動が統一できていないことも、そうしたことが関係しているのだろう。
反原発グループとの付き合いの中で学んだことは、「理念」ばかりではない。何より、この国の隅々にまで行き渡っている「原子力文化」の腐敗しきった実態をこそ学んだのだった。それは、ある種の心ない人々に「プロ市民」などと揶揄される運動家達の日々の実践によって、時にはあからさまな妨害にあったり、公安警察に付け狙われたりしながら掴み取られた事実の集積である。だから私は、3.11後に、原発の問題にふれて好評を得た書物や「論」も、そのことを素通りしているものは「私の人生には必要ない」と感じてしまう。
それにしても、いろいろと知るにつけ、私は次第に絶望的な気分に陥っていった。この国は骨の髄まで「原発的なるもの」に冒されていて、もうどうしようもなく手遅れであるように思われた。そうして、反原発グループとの付き合いも、付かず離れずの状態が続いているうちに、3.11が来てしまった。しかも私は、オロオロするばかりで、何も出来なかったのである。
さて、かつて原発を推進してきた者が考えを改めて脱原発の立場に立った時に、どう接したら良いだろう。『原発事故と科学的方法』にも登場する共産党の吉井英勝議員が、平成18年衆議院で巨大地震の発生に伴う原発の安全機能の喪失について核心を突いた質問を行ったとき、「お前が言うな」とヤジを投げるべきだったのだろうか。少なくとも、私には、何もなし得なかった自分に忸怩たる想いがあるので、もちろん、そんなことを言える筈はない。小泉元首相の「改心」に際して、少し早く「改心」しただけの共産党としても小泉氏に対して「お前が言うな」と言える道理もない。
小出裕章氏や鎌田慧氏がなぜ小泉元首相の「改心」を歓迎したのか、良く考えて欲しい。それは単なる道義的問題ということでもない筈だ。小泉氏を叩くことは、今も原発を推進しようとしている者らを喜ばせ、勢いづかせることにつながる行為でもあろう。
僕たちは、小泉氏の名の元に行われる「脱原発」という儀礼、欺瞞的な国民統合のための儀礼には、参加すべきではない。その不参加によって、たとえ「脱原発」という目的からどんなに遠く離れると思えたとしても、これ以上「犠牲」のシステムの存続に手を貸すことは、僕たちには許されないはずである。
とありますが、これは、小泉氏の影響力についての誇大妄想に近いものだと思います。私は、10月6日の「小泉純一郎元首相の脱原発論について思うこと」と題する記事で、「そもそも共闘と言っても、具体的なことを考えれば、たいしたことはできないに違いない。」と書いたように、彼に大きな期待を寄せる発想自体が荒唐無稽なものだと考えています。したがって、小泉氏との共闘への不参加によって「脱原発」という目的から遠く離れるという危惧もまた、杞憂にすぎないものだと思います。社民党が本気で共闘を考えていたことには少々あきれましたが、批判しなくても、そうしたことは現実には成立し得ない訳です。
ここではしかし、例えば秋原葉月さんの次の呟きについて、考えてみましょう。
志位さんが小泉に脱原発一点共闘を呼びかけたのにはガッカリした。以前も書いたが小泉は原発推進の戦犯の一人。その反省も責任追及もないままエエ格好していきなり「脱原発」を唱えたって、その真摯さは疑わしいばかり。たったそれだけでそれまでの罪が帳消しになるはずもないではないか
これは、共産党も、少なくともかつては「原発推進の戦犯」であったことを無視した謂いです。そのような重大なことを簡単に忘れて勇ましいことが言えるのはなぜでしょう。いつも頼もしく思いながら拝見させていただいている秋原さんの tweet を例にしてしまって大変失礼な物言いになりますが、自らの過去も一緒に忘れてしまったからではないでしょうか。共産党がこの一点に限って小泉氏にシンパシーを感じるのは当然のことなのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
注1)
執筆者(肩書は執筆当時)
青柳 長紀 日本原子力研究所・原子炉工学
井沢 庄治 日本原子力研究所・保険物理学
出井 義男 日本原子力研究所・原子炉工学
赤塚 夏樹 日本科学者会議原子力問題研究委員会(委員長)・電力工学
安斉 育郎 東京大学医学部・放射線防護学
市川富士夫 日本原子力研究所・放射化学
梅津 武司 東海区水産研究所・水産生物学
角田 道生 日本原子力研究所・気象学
北村 洋基 福島大学経済学部・工業経済学
菅井 正晴 日本原子力研究所・電気工学
舘野 淳 日本原子力研究所・材料科学
田村 修三 日本原子力研究所・分析化学
鶴野 晃 日本原子力研究所・原子力工学
渡名喜庸安 福島大学経済学部・行政法
中島篤之助 中央大学商学部・化学
野口 邦和 日本大学歯学部・放射化学
林 弘文 静岡大学教育学部・物理学
原沢 進 立教大学原子力研究所・原子炉物理学
本間 照光 埼玉県立与野高校・保険諭
町田 俊彦 福島大学経済学部・財政学
松川 康夫 東海区水産研究所・海洋物理学