きょうび、大学は正気の沙汰とは思えないほど忙しい。土日に公式行事が入ると振り替え休日を取れと指示されるが、休める日がない。仕方ないので適当な日に休みを申請して、今日は遊びに来ましたということにして仕事をする。自宅でもずっと仕事をしている。そんな具合だから、世の中いろいろと気になる出来事が続いているのに、じっくりと情報を整理して考えるということが出来ずにいる。たぶんこんな生活を続けていると精神的にまずいことになるのではないかと思い、今日は仕事をちゃんと休むことにした。ということで、心のリハビリも兼ねて軽い話題を忘れないうちに書き留めておきたい。
さて、毎日新聞の「日曜くらぶ」に海原純子さんの「新・心のサプリ」と題したコラムが連載されている。11月初旬だったか、次のような内容のことが書かれていた。
サーカスで芸をする象がサーカス小屋の裏につながれているのだが、巨体が細い鎖で柵にくくりつけられているのを見た少年は不思議でたまらない。ちょっと力を出せば鎖は簡単に切れて、象はたやすくサーカス小屋から逃げられそうなのだ。そこで少年は父親にどうして象は逃げようとしないのだろう、と訊いた。父親は答えて言う。象は多分とても小さい頃につれてこられ、鎖につながれたのだろう。その時は何度も鎖をひっぱり逃げようとしたに違いない。ところが鎖はびくともしない。象は次第に諦めるようになってしまう。体が大きくなって簡単に鎖を引きちぎれるだけ強くなっても、「自分はダメ」と思い込んで鎖をちぎって逃げようとはしなくなったのだろう、と。
そこから海原さんは、思い込みからくる「心の鎖」について点検することの大切さを説かれていたと思う。しかし、この結論自体には同意できるものの、象好きの私として、鎖に繋がれた象が何故逃げようとしないかについてはいろいろと納得し難いものも感じた。
まず、象はとても賢い動物である。鎖を切って逃げ出したらとても恐ろしい結末が待ち受けていることを分かっている筈だ。だいいち、毎日餌が与えられる今の境遇もそんなに悪くないと考えているかもしれない。まあ、そんなことは想像に過ぎないのだが、小さい頃につれてこられたというのも想像に過ぎない。しかし、どこからどうやってつれてこられたのだろう。この「鎖に繋がれた象」の話が広まる背景として、サーカスの象はどうやって「調達」されるかについて知られていないということがあるかもしれない。
東南アジアやインドなどでは、象を家畜として飼っているところが多い。今年もまたインドへ行ったが、ちょっとした観光地では、人を背に乗せて稼ぐ象が居る。タイだったか絵を描く象も話題になったが、それより圧倒的多数が土木作業や林業に従事させられている。山中の田舎道を車で移動中に、仕事帰りの象とすれ違ったこともある。そうした象を沢山見ているうちに一度も子象に出会う機会のなかったことが気になり出した。そこでインド人に訊いてみたら、少なくともインドでは家畜の象を繁殖させることは不可能だと思われていて、全て野生の象を捕まえて飼い慣らすのだという。
どうやって捕まえるのか。もう、象好きとしてはたまらない。根掘り葉掘り訊いておおよそ次のようであることがわかった。
象狩りは大変危険は仕事だ。ちょっと大げさではないかと思ったが、一回の象狩りを5人一組が無事に帰ってこられる確率はおよそ20%で、全滅することもあるらしい。それでも1匹捕まえて売れば、インドの田舎では一生遊んで暮らせるくらいのお金が手に入るので、決死の覚悟で行くわけだ。
象狩りに出発する前の二ヶ月間、男達は家畜の象と一緒に小屋の中で暮らし、体を完全に象の臭いに染める。臭いに敏感な野生の象に人が接近していることを覚られないためで、この間は特に香水をつけた女性との接触など厳禁とのこと。
いよいよ出発だ。今生の別れになるかもしれない。象狩りに出発する一行を見送る恋人や家族の心境を歌った民謡がどの地方にも多数あるのだが、その歌は象狩りの際にも重要な役割を果たす。そのため、伴奏のためのいくつかの楽器も持参する。
象狩りは5人一組で、飼い慣らした一頭の象を連れて行く。最初の仕事は、象の通り道の脇に大きな落とし穴をこしらえることだ。タイミングを見計らって急いで掘らなければならないが、ここで同行の象が活躍する。
気配を消して待ち伏せ、象の群がやってくると、一人の男が同行の象の背に乗って、覚られないようにうつ伏せでぴったりと張り付き、ターゲットに定めた象を落とし穴へ押しやるように誘導する。その象が穴に落ちると、仲間の象が周りに集まってきて、なんとか助けようと数日間はうろうろしているが、とうとう諦めて去ってしまう。そこから、穴に落ちた野生の象を家畜へと「洗脳」するための一連の儀式が始まる。
まず、落ちた際の傷があれば治療を施し、十分な餌を与え、手厚く看護することは当然である。餌は決まった時間に決まった回数を毎日規則正しく与える。そして、毎日決まった時間に伴奏付で先に述べた歌を聴かせる。これをキッチリと21日間続ける。何故21日なのかは尋ねてもわからなかったが、とにかく21日間と決まっていて、その後穴から救い出せば、もうすっかり家畜になって、おとなしく一緒に帰ってくれるのらしい。
最初の話に戻すと、サーカスの象も家畜であるから、逃げようとしないのはあたりまえではないか。逃げたいけれどもそれを諦めていることと、洗脳されているにせよ逃げようと思わないこととは違う。穴に落ちた象は、そこに策略が巡らされていたことを知らないので洗脳されて家畜となってしまった訳だが、このようなことは、私達人間の社会にもあるのではないかと思った次第。
私があまりにしつこく訊くので、後日、象狩り一行を見送る歌ばかりを収録したCDをプレゼントされた。あいにくベンガル語で歌詞がわからないのとYouTubeで検索できないのが残念。
さて、毎日新聞の「日曜くらぶ」に海原純子さんの「新・心のサプリ」と題したコラムが連載されている。11月初旬だったか、次のような内容のことが書かれていた。
サーカスで芸をする象がサーカス小屋の裏につながれているのだが、巨体が細い鎖で柵にくくりつけられているのを見た少年は不思議でたまらない。ちょっと力を出せば鎖は簡単に切れて、象はたやすくサーカス小屋から逃げられそうなのだ。そこで少年は父親にどうして象は逃げようとしないのだろう、と訊いた。父親は答えて言う。象は多分とても小さい頃につれてこられ、鎖につながれたのだろう。その時は何度も鎖をひっぱり逃げようとしたに違いない。ところが鎖はびくともしない。象は次第に諦めるようになってしまう。体が大きくなって簡単に鎖を引きちぎれるだけ強くなっても、「自分はダメ」と思い込んで鎖をちぎって逃げようとはしなくなったのだろう、と。
そこから海原さんは、思い込みからくる「心の鎖」について点検することの大切さを説かれていたと思う。しかし、この結論自体には同意できるものの、象好きの私として、鎖に繋がれた象が何故逃げようとしないかについてはいろいろと納得し難いものも感じた。
まず、象はとても賢い動物である。鎖を切って逃げ出したらとても恐ろしい結末が待ち受けていることを分かっている筈だ。だいいち、毎日餌が与えられる今の境遇もそんなに悪くないと考えているかもしれない。まあ、そんなことは想像に過ぎないのだが、小さい頃につれてこられたというのも想像に過ぎない。しかし、どこからどうやってつれてこられたのだろう。この「鎖に繋がれた象」の話が広まる背景として、サーカスの象はどうやって「調達」されるかについて知られていないということがあるかもしれない。
東南アジアやインドなどでは、象を家畜として飼っているところが多い。今年もまたインドへ行ったが、ちょっとした観光地では、人を背に乗せて稼ぐ象が居る。タイだったか絵を描く象も話題になったが、それより圧倒的多数が土木作業や林業に従事させられている。山中の田舎道を車で移動中に、仕事帰りの象とすれ違ったこともある。そうした象を沢山見ているうちに一度も子象に出会う機会のなかったことが気になり出した。そこでインド人に訊いてみたら、少なくともインドでは家畜の象を繁殖させることは不可能だと思われていて、全て野生の象を捕まえて飼い慣らすのだという。
どうやって捕まえるのか。もう、象好きとしてはたまらない。根掘り葉掘り訊いておおよそ次のようであることがわかった。
象狩りは大変危険は仕事だ。ちょっと大げさではないかと思ったが、一回の象狩りを5人一組が無事に帰ってこられる確率はおよそ20%で、全滅することもあるらしい。それでも1匹捕まえて売れば、インドの田舎では一生遊んで暮らせるくらいのお金が手に入るので、決死の覚悟で行くわけだ。
象狩りに出発する前の二ヶ月間、男達は家畜の象と一緒に小屋の中で暮らし、体を完全に象の臭いに染める。臭いに敏感な野生の象に人が接近していることを覚られないためで、この間は特に香水をつけた女性との接触など厳禁とのこと。
いよいよ出発だ。今生の別れになるかもしれない。象狩りに出発する一行を見送る恋人や家族の心境を歌った民謡がどの地方にも多数あるのだが、その歌は象狩りの際にも重要な役割を果たす。そのため、伴奏のためのいくつかの楽器も持参する。
象狩りは5人一組で、飼い慣らした一頭の象を連れて行く。最初の仕事は、象の通り道の脇に大きな落とし穴をこしらえることだ。タイミングを見計らって急いで掘らなければならないが、ここで同行の象が活躍する。
気配を消して待ち伏せ、象の群がやってくると、一人の男が同行の象の背に乗って、覚られないようにうつ伏せでぴったりと張り付き、ターゲットに定めた象を落とし穴へ押しやるように誘導する。その象が穴に落ちると、仲間の象が周りに集まってきて、なんとか助けようと数日間はうろうろしているが、とうとう諦めて去ってしまう。そこから、穴に落ちた野生の象を家畜へと「洗脳」するための一連の儀式が始まる。
まず、落ちた際の傷があれば治療を施し、十分な餌を与え、手厚く看護することは当然である。餌は決まった時間に決まった回数を毎日規則正しく与える。そして、毎日決まった時間に伴奏付で先に述べた歌を聴かせる。これをキッチリと21日間続ける。何故21日なのかは尋ねてもわからなかったが、とにかく21日間と決まっていて、その後穴から救い出せば、もうすっかり家畜になって、おとなしく一緒に帰ってくれるのらしい。
最初の話に戻すと、サーカスの象も家畜であるから、逃げようとしないのはあたりまえではないか。逃げたいけれどもそれを諦めていることと、洗脳されているにせよ逃げようと思わないこととは違う。穴に落ちた象は、そこに策略が巡らされていたことを知らないので洗脳されて家畜となってしまった訳だが、このようなことは、私達人間の社会にもあるのではないかと思った次第。
私があまりにしつこく訊くので、後日、象狩り一行を見送る歌ばかりを収録したCDをプレゼントされた。あいにくベンガル語で歌詞がわからないのとYouTubeで検索できないのが残念。