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オスプレイ沖縄配備への不服従抗議行動に連帯を

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 沖縄へのオスプレイ配備に抗議するために普天間基地の野嵩ゲート前に座り込んでいた市民を、県警機動隊が強制排除して3時間以上も隔離・拘束するということがあって、その理不尽さに憤慨しながらも、何もできない自分の不甲斐なさをなさけなく思う日々が続いている。せめてここに、不服従の抗議行動への支持だけでも表明しておきたい。



米海兵隊普天間航空基地、野嵩ゲート、9月30日。私たちは沖縄県警機動隊によって有無を言わさず拘束され隔離され監禁された。私たちとは誰か、MV22オスプレイの沖縄への強行配備に反対する私たちである。沖縄の全自治体議会が反対決議/意見書を可決し、新聞等メディアによる世論調査で圧倒的多数の県民が反対しているMV22オスプレイの強行配備である。あの日、拘束され隔離され監禁された私たちと、そうではない全自治体議会の議員と世論調査にみる圧倒的多数の県民との違いは、あの場にいたのかそうでないかの違いだけである。2012年9月30日夜、野嵩ゲートに民衆を拘束隔離監禁する「野嵩ゲットー」とも呼ぶべきスペースが国道上に現出したとき、私たちは知る、沖縄島そのものが「ゲットー」であることを。

琉球新報の取材によると沖縄県警機動隊は「任意であり、強制ではない」と説明しているらしいが、片腹痛いどころか「南京事件はなかった」「従軍慰安婦は存在しない」「沖縄戦の集団自決はなかった」と強弁する歴史修正主義者が「沖縄戦も第二次世界大戦もなかった」と言ってのけているのと同程度の強弁である。
我々は理由も説明も受けず、機動隊の大型装甲バスと国家権力暴力の手足になった機動隊員と盾に挟まれ、3時間も拘束隔離監禁された。トイレにも行かさない、病人を外に連れ出すことも拒否された。人権侵害も甚だしい、剥き出しの暴力が支配する空間に我々はいた。

「野嵩ゲットー」の中には、国会議員も弁護士も、おじいもおばあも、女性も若者も、ありとあらゆる人々がいた。

この事実を、動画や写真や諸々の媒体もしくは現場にいて拘束される当事者ではなく傍観者として知ることで、彼と我の違いを強固に反対しうる強い人もしくは恐い人と弱い普通の一般人としての私などと線引きし、対岸のものとしてしまうことは、安全圏であると思ってる此岸に遍在する暴力を見失い自らの存在を危険にするだけである。

「野嵩ゲットー」が国道上に現出してしまったイマ、私たちは知らなければならない、沖縄島そのものが「ゲットー」であることを。私たちは現実の中から学び、現実を変革して行くしかない。

同上、「なごなぐ雑記」から:

 以前この記事で、「まさか、オスプレイを「正しく怖れよ」などと言う訳でもあるまい」と書いたのだが、その「まさかの人」が湧いている。

 例えば八重山日報の9月12日の署名記事には、「オスプレイ機反対者は自動車に乗らないのか 大浜 京子」があって、face book の63人が「いいね!」らしい。

 理不尽にも放射能をばらまいて環境汚染の公害を引き起こした営利企業と国家・官僚に対する抗議の声に対して「正しく恐がれよ」と諫めるだけのアホな科学者たちが湧いているこの国にして、あり得べき暗鬱たる情況ではある。

 ところで、共産党の「しんぶん赤旗」が、現地の抗議行動を大きく報道しつつも、このゲート封鎖の直接抗議行動については全く触れないままであるという。

(ペガサス・ブログ版:2012-10-02)

 ブログ主の電話での問い合わせに対して、「ゲート封鎖というのは違法/合法のグレーゾーンで,先鋭的でもあり,戦術として“オール沖縄”で多くの人々を結集させることにつながるか不明である.」「現地の党組織の判断で報道するかどうか決めるが,今のところそのような判断(つまりネガティブ)だと思う.」との答えであったという。現地の共産党組織も「かなり迷っているようにも感じられた」とのことであるが、あきれるばかりで、これでは共産党の存在理由がない。

 もし、この情報に接することがなかったら、このエントリーを上げることもなかったかもしれない。なにしろ、冒頭に書いたように、ひたすら自分の不甲斐なさをなさけなく思うばかりの日々である。タイトルに「不服従」と入れたのは、せめてもの意思表示だが、「連帯を」と書くのはおこがましいとの想いもある。

 しかし、関電前抗議行動では逮捕者もでている。


 これも明らかな不当逮捕であるが、警察が逮捕したというだけで、この国では犯罪者扱いとなる。

警察だけじゃなく、公然と被逮捕者を差別するバカどもとも戦わなきゃならんのは、本当に難儀だよ。この奴隷市民にして、あの勘違い警察あり、だよ。

 直接抗議行動への考え方:

「逮捕されない非暴力」という戦略は、行動の範囲を、逮捕権を持つ者が決めることを認め、合法であるかぎり、何をやっても良いことになる。一方、ガンディーの非暴力は、「法や逮捕は関係なく、自分自身の心にかなう事を、礼儀正しく行う」ということである。「自治(スワラージ)」とはそういうこと。

 これは、その通りと思う。ただ、ガンジーは「非暴力・不服従」を説いた。この「非暴力」と「不服従」を一体のものとして捉えて初めて安富さんの主張が活きてくる。ガンジーが成し遂げたように、多数派の市民の一致した「不服従」こそが権力の横暴を断念させる力となる。沖縄の「民意」は既に明らかだ。

 以前にこの記事この記事などでふれた故小泉文夫は、台湾の、かつて首狩りの風習のあった「高砂族」の音楽を現地で密着取材したレポートにおいて、首狩りは勇敢な戦士の証として行われているとの建前とは裏腹に、その実態は、「られる前にってしまえ」との臆病者の発想にもとづく過剰防衛の行為として行われており、この風習は、アジアのニューギニアから日本へ続く島嶼部に共通の文化としてあると主張した。日本の戦国時代の「晒し首」の風習もその系譜という訳である。もちろんどこでも今では首狩りは禁止されているが、かつての日本の国家としての侵略行為も、そうした「臆病者」のメンタリティに根ざした「過剰防衛」という側面はあるのだろう。

 その結果、太平洋戦争において2000万人の死者を出した。その真摯な反省と総括にたって、いっさいの戦力不保持を宣言した日本国憲法が誕生した筈なのだが、国防の名の下に際限のない軍備拡張が続いている。オスプレイの岩国基地から沖縄普天間基地への配備が完了した今、この問題を「沖縄の問題」としてのみ捉えるなら、歴史は忘れ去られることによって繰り返すということが現実のものとなるであろう。一方でこの問題が、確かに「沖縄の問題」としてあることも見逃してはならない。

お薦めのブログ記事:
オスプレイ(横板に雨垂れ:2012.06.18)

(みずき~「草の根通信」の志を継いで~(資料庫):2010/5/7)
(同上:2010/5/7)


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