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Channel: さつきのブログ「科学と認識」
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buveryさんへのお返事

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 前回の記事にbuveryさんからtwitter上で応答がありましたので、補足の意味も込めて書いておきます。

 現存被曝状況の管理の仕方と、計画被曝の管理の仕方を混同している、どうしようもない人ですね。現存被曝は線源が管理されていないから、個人線量管理で参照レベルを用いる、計画被曝は、線量限度を用いて、退場させるもの。

 こういう議論は、チェルノブイリの経験を経て2000年代に終わっているものなので、ICRP103, 109, 111を参照のこと。何を優先し、何を大事にすべきか、そこで考え方が変わっています。計画被曝は被曝する人を排除すれば良いが、現存被曝でそれを行うと、とんでもない被害がでる。

 完全に誤解されているようですが、私の書き方がまずかったようですね。まず私は、「現存被ばく状況」という概念を用いて管理する場合であっても、空間的管理を併用しなければ「汚染地域」に対する有効な支援策は実行不可能ということを言いたかった訳で、今現在そこに住んでいる人を「線量限度を用いて、退場」などと主張したいのではありません。もちろん、状況の変化によってはそれもあるでしょうが、私の考えの一端はここに書いています。

 ICRP 111を読んで少なくない方々が理解に苦しむポイントは、いったいどの範囲を現存被ばく状況下にあると認定するのかというところにあるでしょう。おそらくそれは、頻繁に出てくる「長期汚染地域」という用語で表現される範囲に含まれるのだろうと思います。しかし、「長期汚染地域」の定義が書いてありません。

 現在国内で運用されている放射線防護指針での「現存被ばく状況」の位置づけについては、首相官邸災害対策ページにある「放射線防護の最適化 -現存被ばく状況での運用」において、「事故などの非常事態が収束する過程で、被ばく線量が平常時の公衆の線量限度(1mSv/年)より高い状態が定着し、さらなる線量低減に長期間を要する状態を「現存被ばく状況」と呼びます」と説明されています。「集団全員の被ばくが年間1mSv以下になれば、平常状態への回復が達成とも書いてあります。また、ICRP 111では、被ばく線量は個人線量で管理するということが繰り返し強調されています。 

 これらのことなどを総合すると、そもそも、「現存被ばく状況下にある地域」だとか「現存被ばく状況下にある範囲」などといった空間的な概念は存在せず、「現存被ばく状況」とは、個人線量で年間1 mSv以上の追加被ばくをする人が存在している<状態のこと>であるという認識以外、何もないことがわかります。このことは、明らかな空間概念である「長期汚染地域」の定義を、いっそう困難にするものであり、その定義なしに様々な施策が実行あるいはサボタージュされていくであろうことを予感させるものです。

 例えば、個人被ばく線量が年間1mSvを下回ったとして、その状態を維持するのに強いられている努力や我慢が無視されてしまうのではないか、また、移住した人々をどのように救済するのかといった視点も放棄されてしまうのではないかと危惧されます。

  ICRP 111の総括ー(d)には、「この決定に暗に含まれていることは、放射線の潜在的な健康影響に対する防護と、しっかりした生活様式や生計手段を含む持続可能な生活条件を人々に提供する能力である。」と書かれていますが、この一文は、被災者にとっては一筋の光明であるでしょう。

 しかし、これを誠実に実行しようとするなら、そもそも、どの範囲の人々に個人線量計を持たせるのか、周辺地域から少しずつ「平常状態」が回復されていくとして、どの範囲から、個人線量管理をやめていくのか、「潜在的な健康影響」のある範囲をどのようにして認識し、定めるのか、どの範囲の人々に「持続可能な生活条件」を(特別に)提供していこうと努めるのか、移住した人々になんらかの救済の手をさしのべるとして、どの範囲の人々を対象とするのか、等々の切実な問題が当然のこととして浮かび上がり、いずれも、空間的な把握・管理を導入せずしては解決され得ないことばかりであることに気づきます。そして、空間の管理は、空間の属性を用いずして実行不可能であることは、ごく簡単なりくつです。

 預託実効線量で管理するという話はどうなったのかといった論点など、ほかにも重要な問題はいろいろとある訳ですが、少なくとも上記のことが深刻な問題として理解されないとしたら、ひと月ほど前のbuveryさんの下記の呟きが、本心からのものであったということを意味するのかもしれません。

私が作文すれば『津波から完全に立ち戻ったとは言えないが、福島では200万人が問題なく暮らしている。東京は福島とは250キロ離れているが、心はつながっている。津波は大きな悲劇ではあるが、世界中の人の心を結びつけるものでもあった。オリンピックもその一つとしたい。

 これは、東京オリンピック招致の最終プレゼン用として私的に提案されたことだと思いますが、平成2591日現在の福島県の推計人口は 1,948,184 人とのことなので、福島県に住む全員の方が「問題なく暮らしている」、原発事故の影響はもはや何もないと読めます。

 え~っと・・・
「完全にコントロールされている」とどちらが「すごい」か、投票したら良いのではと思います。

こういう終わった議論を持ち出して、自分がさも時代の先端であるかのように自認する人も、すごいな。チェルノブイリの事故から何を学んだのか。

 「時代の先端であるかのように自認」だなんてとんでもない。しかし、buveryさんがチェルノブイリの事故から学んだ結果が、「福島では200万人が問題なく暮らしている」ということだとしたら、私が学んだこととはずいぶん違うようです。

 以下は余談です。

まあ、人工放射能と天然放射能が違うとか力説している人だからね。

 このことでしょうか。


 これらの記事で私は、天然放射能と人工放射能は、核種単体としては物理・化学的な性質に本質的な違いは何もないけれども、物質科学的に異なっているということを「強調」しています。私の予想は東電原発事故によって放出された放射性物質の研究によっても実証され、下記の記事でとりあげました。


 ここで採り上げた論文では、初期プルームの大部分が、放射性セシウムを%オーダーで含む不溶性の微粒子からなっていることを明らかにしています。代表例として示された直径2.6 umの粒子はセシウムだけで6.58 Bqの放射能を有しているとのこと。天然の環境では、同サイズでその100万分の1の放射能のものさえ形成不可能なことは、教科書程度の知識があれば推定可能です。逆にもし、同程度のサイズの天然微粒子で、その100万分の1を超える放射能のものを発見したなら、それこそが「時代の先端」でしょう。

 天然の放射能と人工の放射能が物質科学的に異なることは事実です。それを私が「強調」するのは、たびたび報告されるこうした事実が、実際上無視されているからです。なぜ無視されるのでしょうか? もし、ホットパーティクルが被ばくによる健康影響に特別の作用をもたらすとしたら、現在のICRPを初めとした防護体系が根本から崩れ去ることになるからでしょうか。わざわざ「注目」して下さってありがとうございます。


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